学校における競争について

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この動画が広まっているようですね。

さて、日本の学習指導要領を見てみましょう。

学習指導要領「生きる力」
第1 目標
心と体を一体としてとらえ,適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して,生涯にわたって運動に親しむ資質や能力の基礎を育てるとともに健康の保持増進と体力の向上を図り,楽しく明るい生活を営む態度を育てる。

第2 各学年の目標及び内容
〔第1学年及び第2学年〕
1 目標
(1) 簡単なきまりや活動を工夫して各種の運動を楽しくできるようにするとともに,その基本的な動きを身に付け,体力を養う。
(2) だれとでも仲よくし,健康・安全に留意して意欲的に運動をする態度を育てる。

中略

〔第3学年及び第4学年〕
1 目標
(1) 活動を工夫して各種の運動を楽しくできるようにするとともに,その基本的な動きや技能を身に付け,体力を養う。
(2) 協力,公正などの態度を育てるとともに,健康・安全に留意し,最後まで努力して運動をする態度を育てる。
(3) 健康な生活及び体の発育・発達について理解できるようにし,身近な生活において健康で安全な生活を営む資質や能力を育てる。

中略

〔第5学年及び第6学年〕
1 目標
(1) 活動を工夫して各種の運動の楽しさや喜びを味わうことができるようにするとともに,その特性に応じた基本的な技能を身に付け,体力を高める。
(2) 協力,公正などの態度を育てるとともに,健康・安全に留意し,自己の最善を尽くして運動をする態度を育てる。
(3) 心の健康,けがの防止及び病気の予防について理解できるようにし,健康で安全な生活を営む資質や能力を育てる。

引用元:https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/tai.htm#3_4gakunen



フィンランドの校長先生が言っている内容と日本の学習指導要領は似ていますね。

ちなみに、日本の体育(だけではありませんが)で避けて通れない「競争」という言葉は、学習指導要領に2か所記載がありました。

〔第3学年及び第4学年〕
2 内容
C 走・跳の運動
(1) 次の運動を楽しく行い,その動きができるようにする。
ア かけっこ・リレーでは,調子よく走ること。
イ 小型ハードル走では,小型ハードルを調子よく走り越えること。
ウ 幅跳びでは,短い助走から踏み切って跳ぶこと。
エ 高跳びでは,短い助走から踏み切って跳ぶこと。
(2) 運動に進んで取り組み,きまりを守り仲よく運動をしたり,勝敗を受け入れたり,場や用具の安全に気を付けたりすることができるようにする。
(3) 自己の能力に適した課題をもち,動きを身に付けるための活動や競争の仕方を工夫できるようにする。

〔第5学年及び第6学年〕
2 内容
C 陸上運動
(1) 次の運動の楽しさや喜びに触れ,その技能を身に付けることができるようにする。
ア 短距離走・リレーでは,一定の距離を全力で走ること。
イ ハードル走では,ハードルをリズミカルに走り越えること。
ウ 走り幅跳びでは,リズミカルな助走から踏み切って跳ぶこと。
エ 走り高跳びでは,リズミカルな助走から踏み切って跳ぶこと。
(2) 運動に進んで取り組み,約束を守り助け合って運動をしたり,場や用具の安全に気を配ったりすることができるようにする。
(3) 自己の能力に適した課題の解決の仕方,競争や記録への挑戦の仕方を工夫できるようにする。

の2か所です。

3年生~6年生の陸上運動において、「競争の仕方を工夫する」という文言があるだけです。

競争によって子どもたちが運動を嫌いになるなんてのは、本来の体育の目的からして本末転倒ですね。

この動画の日本の校長先生、これだけ動画が拡散されて同情する部分が多いですが、順位が上がった子がいれば順位が下がる子もいることをわかっているのかしら。

順位が上がった子が努力をした子で、順位が下がった子は努力をしなかった子ということになるって、きっと落ち着いて考えたら気がつくと思うけれど、、、。

いや、それはないか、学校現場には訳の分からない論理がまかり通っていることは身に染みてわかったから。

次男の小1の頃の担任の先生は競争に勝つことを子どもたちに過度に望んでいました。縄跳び大会ではAチーム(上手い子たち)の縄を回しながら背中をバンバン叩きながら押していました。

同じクラスの子が本番の日に参加せずに地面に絵を描いていたので、

「やらないの?」と聞いたら

「縄跳び苦手だから、先生がやらなくていいって言ったから」というので、

「引っ掛かってもいいんだから、やりたかったらやってきたら?」

と言ったら、ぽかーんとした顔をしたあと

「やってくる!」と笑って走って列に並んだ。

学校は何でも競わせます。

算数プリントを終える時間、読書した本の数、忘れ物の数、連絡帳を書き終える順番までつけていた先生もいました。

一部の子を除き「ダメ」を刷り込まれる残念なやり方を「子どもの為」と本気で思い込んでいる人もいますが、大多数は今までそうだからでやっています。

今までそうなのは管理しやすいからですね。

そもそも、学習指導要領などほとんどの先生は読んでいません。

(と現役の学校の先生が自信をもって言っていました)

元麹町中学校長の工藤氏のコメントも紹介

さすがにフィンランドの校長さんですね。当たり前のようにスポーツの最上位目標をサラッと語っています。

全てのこどもに強制的にやらせる種目で順位づけをすることは、どんな理屈をつけても必ず不幸な子どもをつくる仕組みにしかなりません。もしこの方法…

工藤 勇一さんの投稿 2020年10月6日火曜日

息子の友人に、体が大きくて持久走が苦手な子がいました。

マラソン大会は毎年最下位です。

その子は、マラソン大会が近づくと憂鬱でたまらない、前日ともなると吐き気がして食事もろくにとれなくなる。

そしてその子は

最後に校庭に入ってきた時に、その場にいるほとんど全ての観客がその子に注目し、その子の名前を大きな声で呼ぶ、「がんばれ~!」と叫ぶ、ゴールするまで拍手をする、これが嫌で嫌でたまらない。



声援を送るほうはよかれて思って声をかけるし、その行為そのものが気持ちがよいのでしょう。

(私は自分の子どもの名前を呼ぶくらいはしますが、頑張れとは言いませんし拍手もしません。最下位のその子にも声もかけないし拍手もしません)

ただ、それを受けるほうは苦痛で苦痛で仕方がないわけですよ。

でも、過半数以上の家庭では、子どもの順位に一喜一憂し、「何位以内に入ったら〇〇を買ってあげる。」とか、「〇位までだったらお小遣いをあげる。」なんてやっていますから、学校現場における「競争」は家庭のニーズと学校のニーズが合致した結果と言えますかね。