口だけの謝罪
あるお母さんから聞いた話。
子どもに謝る文面を用意して、忘れ物をしたらその通りに
「●●を忘れてしまいました。次からは忘れないように気をつけます。申し訳ありませんでした。」
と言わせる。
言わされる方はイライラするなぁ。
そのうち、謝りゃいいんでしょって、口だけになるなぁ。
そんな文面を連絡帳に貼られたら、親もイライラするなぁ。
まぁ忘れ物は減るかな。
減らない子の心は萎縮するかひねくれるかな。
謝る習慣はつくかな?
これ、結構普通に学級運営でやっていますね。
息子たちも一年生から普通にやられています。
やらないでくれた先生もいます。
頂いたコメント
息子が1年生の時、「通路にランドセルを置くな」と言われていたのにうっかり通路に置いてしまったら、担任にランドセルをゴミ箱に捨てられました。
2度目は、担任自らでなく、クラスの女子に捨てさせたとか。
ランドセルを通路に置いてはいけない理由は、「ぶつかって危ないから」「床は汚いから」理由があるならそれをきちんと言って聞かせればいいのに、見せしめ的に、ゴミ箱に捨てる。さらに許せないのは、それをクラスの子にさせたこと。
担任にそのことを伝えたら、「ランドセルは重いし場所もとるから、リュックにかえたらどうですか?」
唖然呆然。
屈辱を与えることで行動が変わる、それでいいという発想に、全くついていけません。
同じようなことがありました。子どもはこのやり方に納得せず、結局、教室に入ることを拒否しました。(他にもいろいろ理由がありましたが)中学になり、忘れ物をしたときに怒られると思って、自己申告にいきました。すると先生が「先生のがあるし、これ使ったらたらいいよ」って言われてビックリ!!家に帰ってから、「こんなふうに言われたら、忘れ物せんようにしなあかんって思うわ」と言ってました。
うちも余裕のない金切り声の音楽の先生に似たような事をされました、正当な理由があったのに忘れてすみませんの反省文を書かされて屈辱的だったようです。あとで担任を通して私からの意見をお伝えしました。
これ面白い。
普通
「今年度はいつも怒鳴っている先生はいないかい?」
『え~っと●年生と●年生の先生』
「そっか~ ●●の先生は怒鳴ってないかい?」
『ん~ 普通に怒鳴ってるよ』
「あら~ それは困ったね。どんな時に怒鳴るの?」
『宿題を忘れた時とか』
子どもたちからは、先生は怒鳴るものだと認識されている。
そして、学校では先生が怒鳴ることは黙認されている。
そりゃ~ 心が荒れるし、笑顔が減るし、勉強だってわからなくなるさ~
教え方のまずさは置いておいて、穏やかな状態でなければ頭が働かないなんて、当たり前だっつ~の。
理解させない、理解できない、それでも基礎基本とばかりに単純計算ばかりやらせている。
でも全部「家庭の問題」になる。
何回言われたろう。
「金森さんちの様に教育熱心な家ばかりじゃないんです。」
「金森さんのお子さんだからです。」
違うだろうって。
やっちゃダメだっていう事ばかり学校でするからでしょ?
あほみたいに、反復反復、基礎基本基礎基本って単純な作業ばかり怒鳴りながらやらせているからでしょ?
子どもが泣いているのに無理やりやらせているからでしょ?
家庭のせいだけではない。
勘違いの情熱
今年もお手紙や家庭訪問で先生に家庭の教育方針や宿題制限を伝える・伝えたお母さんたちの相談にのっています。
どんぐりに理解を示す先生、すんなり了解してくれる先生、嫌味や脅し文句を言う先生、様々ですが一応家庭での宿題はアレンジは認めてもらえていますね。
OKといいつつ学校で子どもにさせようとする先生がいますので、そこは注意が必要です。
宿題の量、質、学校での取り組みなど、いろいろな学校の話を聞いていますが、そこに子どもたちが確かな学力を身につける手法や理念は微塵も感じられません。
あるのは、
わからない子どもたちに手も足も出ないからという物量作戦。
これだけさせているんだからあとは家庭の問題。
という考え。
でも、こういう先生はある意味楽で、学力は家庭でしっかり育てます、育たなくても家庭の責任ですと言えば、あっさりわかりましたと引いてくれます。
困るのが・・・情熱をもって勘違いの頑張りをする先生。
この親(どんぐり母さん)だと子どもが育たない、なんとかしないと。
ここで基礎(漢字・計算)を身につけさせてあげないと。
宿題をしないなどズルを覚えさせるわけにはいかない。
学習習慣をしっかりつけさせてあげないと。
今年も数件こういう相談がありました。
酒井式式描画法
学校の廊下に同じ絵が張り出されているのを見たことがあるでしょう。最近では幼稚園でも取り入れられて、「できた成果物」にしか関心がない親の心を鷲掴みにしている描画法。
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今朝、中1の長男が手元にあったチラシの「マニュアル人間」の文言を見て、「マニュアルってなに?」と質問してきました。語句の説明をした後で、
「ほら、学校で描く絵も手順が決まっているでしょ?あれは先生がマニュアルを見ながら描かせているんだよ。」
と言ったら、険しい顔で
「あぁ~ あれか、絵なのに自由がないんだよ。持っていくと、『影がない』って言われたり、道路を描いたら『フェンスがあるといいね』『色はこの色の方がいいね』って描き直しをさせるんだよ。腹が立ったから直さないで出してやった。」
と思いだし怒りをしていました。
子どもの絵は心を表す。
そこに指導をしていく恐ろしさ。
だから私はその指導法で描かされた絵は、(県展で)賞をとろうが、良い絵に仕上がっていようが、一切褒めませんし、認める言葉もかけません。(もともと普段から褒めません)
「絵は自由に描くのがいいのに、一つ一つ決められた手順通りに描くなんてくだらない。こんな賞で喜ぶんじゃないよ。こっちの落書きの方が素晴らしいよ。」
なんてことを伝えます。
学校は、マニュアル人間を育てる場所。
そこで育ったマニュアル人間が、自由な心と頭を持った子どもたちをマニュアル人間にしようと必死に頑張っている。
良かれと思って、「勉強」というツールを駆使して。
だから、親は対応を考えないといけない。
頂いたコメント
だらない。子どもの絵ほどすばらしいものはない。
次女、5年生ですが歯科衛生週間のポスターを「マニュアル」で描かされており、愚痴っています。図工の時間、「今日はこれを描いて」と教諭の指示で同じパーツを描いて、全員が同時進行、数回で完成することになっているようです。酒井式は低学年で取り入れるところが多いようですが、高学年でもマニュアル画法を取り入れるとは驚きでした。子どもから、絵まで奪って何をしようとしているのか…
酒井式は知りませんが、子供の幼稚園のお絵描きがまさにそれ、です。みんな同じ絵。
上の子が幼稚園の時に、お迎えに行ったらすごく荒れてて、どうしたのかと落ち着いてから聞いたら、「絵の授業で花火とそれを見てる子供の絵をかかされた」「ボクは団地の絵を描いて、家の窓から家族みんなで花火を見てる絵を描いた。そしたら先生がそんな絵はダメです。外に立って花火を見ている男の子と女の子の絵を描きなさい。全部描き直しって言われて嫌やってん」「いつも花火は家の窓からみんなで見てるのに、なんでそれがダメなの?」
怒りのあまり、絶句した記憶があります。
幼稚園の年少のとき、なんだか悲しそうに帰ってきたので尋ねたら、「先生にお絵描きのとき色使いすぎって言われた」と。
キリンをカラフルに描きすぎたら言われたみたいです。
急いで紙とクレヨン持ってきて思いっきり描いてもらいました。お母さんは上手な絵じゃなくてあなたの絵がすきだと伝え、
先生にも自由に書かせて欲しいとお願いしようと言うと、
「いいよいいよー🎵家でいっぱい描くから。幼稚園は少ない色でかけばいいんだもん
😉」
と、スッキリしていました。どんぐりっ子の強さを実感すると共に、毎日の微妙な変化を察知するためにはのんびりするしかないと実感した出来事です。
習い事をするヒマはないですね😁
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