学校が地獄

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学校が地獄

残念ですがどこの学校にも教師不適の先生はいます。
若い先生もいれば、大ベテランの先生も該当します。

管理職はそんな先生たちでも使わなければなりません。


高学年だと子どもたちが逆らってすぐに学級崩壊するので、低学年クラスや特別支援クラスに配置されやすいのはもう周知の事実です。

そしてそのクラスの子どもたちが地獄のような毎日を送っていることを学校の先生たちはみな知っています。

知っていますが、先生はお互いのクラスには不干渉が鉄則なので、みんなで触れない様にしています。

管理職は、大きな問題でもない限りそういう教師不適の先生たちに強く指導できないものです。

管理職の方が若く、ヒステリックで非常識な大ベテランに言いにくいというケースも多々あります。

そして管理職は親たちがこの事実を知って騒ぎだすことを恐れています。途中で担任を変えるのは大変な労力がかかり、代わりの先生が見つかる保証もありません。

だからなんとか無事に1年間クラスを崩壊させない様に、親たちからリコールが起きない様に、隠し、隠し、隠します。

なぜ文句を言わないのですか?
なぜ用意された授業参観しか見ようとしないのですか?

我が子が地獄のような毎日を送っているというのに。

見て見ぬふりで学校現場は良くなりません。
学校をよくしたいと中で踏ん張っている人にとっては、保護者の声はプラスに働きます。

学校に行きたくないのに、学校に行っていた理由は、けっこう地獄。

僕は、芦別市の緑が丘小学校に入りました。

姉が通っていた学校に行けることがうれしかったです。

はじめて、教材をもらった日には、わくわくしました。

算数の教材は、どうやって使うかわからないからこそ、ワクワクしました。

担任になってくれた先生は、女性でした。だから、安心しました。

僕の小学校生活は、輝いていました。

でも、担任の先生は、思っていたのとは違っていました。

朝、先生の機嫌が悪いと、当たり散らされます。

先生の前を横切ったら、無礼だと、いきなりビンタをはられます。

1年生が転倒するほどのびんたでした。

何か問題を起こした子がいたら、クラスの全員でその子をつるし上げるように

指導されました。

やりたくないけど、やらないといけませんでした。

休職で嫌いなものがあっても、全部食べるまで片付けられません。

途中で吐いてしまったら、吐いたものまで食べさせられました。

まわりで、みんなが掃除をしています。

みんなの視線が痛かったです。

図鑑を読んでいたら、「そんなもの読んでるヒマがあったら勉強しなさい!あんたは頭が悪いんだから!」と怒られました。

絵を描くときは、ものすごく修正が入って、僕の絵ではなくなりました。

(でもその絵は、賞をもらったりします。)

僕は、なんのために生まれてきたのかな、と思いました。

それは、僕以外の子もされていましたから、ある意味、平等な先生だったのかも。

それでも、当時でもかなりおかしな先生だったと思います。

ただ、けっこう年配の女性だったので、他の先生についても怒ってることが多く、

他の先生は、文句を言えない感じでした。

僕の母さんは、僕がひどい目にあっていることを知っていたようです。

でも、なにもしてくれませんでした。

ただ、一度だけ教えてくれたことがありました。

「私がPTAの役員を断ったから、目をつけられたんだと思う・・・」

そういうものなのかな?と疑問に思ったのをおぼえています。

だって、他の子もやられてるから。

母さんは、父さんに暴力を振るわれていました。僕はそれが嫌でした。

僕は、母さんに心配をかけてはいけない、と思いました。

僕は、僕が悪いのだと思っていました。

僕は、その先生が怖かったし、大嫌いでした。

でも僕は、学校に通い続けます。

その理由は、家がもっとひどかったからです。

あまりにもひどい先生の行為で、僕は心の平静を失っていきます。

やがて、熱が出たり、おなかが痛くなったりしました。

先生に「なんだそんなもの!」と罵倒されながらも保健室に行くと、

養護の先生は優しくて、早退することを勧めてくれました。

でも、家に帰ったら、父さんが「なんだそんなもの!」と怒鳴って、

僕を車に乗せて、学校に送り返してくれました。

父さんは暴力の人でした。

父さんが頭をかくために手を挙げるだけで、びくっとなるほど、僕は恐れていました。

だから、父さんには、なんの説明も言い訳もできません。

教室に入ると、先生が意地悪な笑顔です。辛かったです。

こんなことが、何回かありました。

こんな毎日は、辛すぎると思いました。

僕の家は、国道に面していたので、けっこう交通量がありました。

車に轢かれたら、学校に行かなくてすむのかな・・・

と毎日のように思っていました。

でも、ある体育の日、僕は平均台から落ちました。

そのときに、首をひどく捻ってしまったみたいです。

さすがに、先生も慌てたようで、僕は整骨院に連れて行かれました。

レントゲンを撮ったりしたら、「首の骨がすこしずれている」と言われました。

このときは、父さんも「学校に戻れ」とは言いませんでした。

僕はどうどうと学校を休めました。

依頼、僕は、頻繁に首が痛くなるようになりました。

そうすると、学校を休めるからです。

でも、病院は退屈だし、なんともないところを治療されるから、痛いのなんの・・・

それでも、僕は学校に行かなくていいことがうれしかったです。

この先生には、3年間受け持たれました。地獄でした。

いまでも、当時のクラスメートは、この先生を殺してやりたいと言っていますから、

僕の妄想ではなかったんだな、と思います。

4年目になって、先生が替わって、それからは学校の景色に色がついたように感じました。

鬼ごっこや、プール遊びが楽しくなりました。

紙飛行機や、ペーパークラフトに夢中になったのも、この頃です。

僕の最初の担任の先生は、伝え聞いた話では、翌年の保護者が問題を提起して、

先生の行動が明らかになり、学校を去ったそうです。

僕らの保護者は、なぜ、3年間も文句を言わなかったのかな、と思いました。

僕は、最初の3年間、学校に行きたくないのに、学校に行きました。

このときの経験は、僕によくない影響を与えていると思います。

僕の心の中にある、残酷な気持ちや、冷酷な気持ちは、この頃に生まれたと思います。

そして、面倒なことや嫌なことがあると、あきらめたり、やめたりして、

問題を解決しようとしてしまう傾向も、この頃の経験から身に付いたものです。

でも、こんな僕が、なんとかなってるのは、

小学校に上がる前の僕にじいちゃんが言ってくれた「つとむは優しいね」という一言です。

僕は、優しくなりたい、と思いました。

それが、僕の中の暴力をおさえています。

でももし、じいちゃんのこの言葉を聞いていなかったら・・・

僕の人生は、めちゃくちゃに破壊的なものになっていた気がします。

僕が、この先生と出会えて、一番よかった点は、

「学校はまともとは限らない」という情報を得たことです。

神戸の教職員いじめの問題は、おそらく多くの人が「ああ、あるある」と感じたと思います。

というか、先生という職種に限らず、普通の会社でも、いじめやパワハラは普通ですから、学校で発生しないわけがありません。

もちろん、まともな先生も沢山いますが、異常な人の大きな声の前では、

多くの人が自分の声を潜めてしまいます。

これは、子ども達のいじめでも問題になる、「傍観者」「無関心」です。

そんな状態で、まともな教育ができるわけがないです。

それは、子ども達への連鎖して濃縮していきます。

でも、連鎖は断ち切れます。

自分がされて嫌だったことを、自分がしない、と誓うだけで、

くだらない連鎖は、ぶちっと切れます。

だからこそ、重要なのは、辛いとき、苦しいときに、

「辛い」「苦しい」「死にたい」と繰り返して言うだけではなく、

「なんで辛いと思うのかな?」「なんで苦しいと思うのかな?」

「なんで死にたいと思うのかな?」を考える事です。

その上で「だったらこうしてみたら?」です。

僕が子どもの頃、大人が僕を助けてくれなかったのは、「どうしていいかわからない」

から、「とりあえず様子を見よう」だろうな、と思います。

でも、大人と子どもの、時間の流れ方はまるで違います。

大人が耐えられる時間が、子どもには耐えられない時間だったりします。

子どもが学校に行きたくない、というなら、

なぜ行きたくないのかを考える必要があります。

ただし、子どもも考えが整理できていないことがあるし、

親を心配させまいとして、本当の事を言わないことが多いです。

だから、これは簡単な事ではありません。

親を心配させたくないのは、親が問題を解決できないで困っている姿を見ているからです。

だから親は、問題を解決するプロセスを、子どもによく見せた方がいいです。

子どもは、けっこう大人に気をつかって生きています。

子どもが、もう少し、大人を頼って、助けを求められるような存在になりたいものです。

大人が、「人からどう思われる」「人からどう見られる」「人からこう言われる」を

気にしすぎたり、不安な顔や、困った顔をすると、子どもはそれを察知します。

しかし、不安な顔をしない、というのは、演技ではいけません。伝わります。

本心から。不安を感じないようなハートが必要です。

そのためには、普段から、問題を解決する練習をし続けることが重要です。

「自分はこう思う」「自分はこうしたい」を紙に書くといいと思います。

学校では、テストの問題の解き方(というか、暗記)だけ教えます。

でも、人生においては、問題(プロブレム)の解き方の方がよっぽど重要です。

問題を解決する努力をし続けることが大事です。

空振りも多いけど、バットを振らないとホームランも出ないからね。


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