学校

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小学1年生でいじめにあって転校したどんぐりっこと家族のその後のお話です。

ノンフィクションです。

特別な学校、特別な先生たちではないですよ。

いじめが原因で転校したあとの家族の苦しみ

「お母さん、私たちが息子さんのことを

しっかり見ていきますからね!」

「息子さんがまた痛い思いをしないように・・・」と

転校を許可してもらうための面談で、

新しい学校の校長はそう言ってくれた。

私はその時

「息子の命は助かった」

「この学校に転校して本当に良かった」

と思った。

でもその言葉が

「偽りの言葉」

であったと知るまでに

そう時間はかからなかった。

転校した新しい学校では

就任4年目の若いバスケ好きの教師が息子の担任になること。

転校初日からボランティアスタッフが息子に「寄り添って」みてくれる

という話を校長から聞いていた。

面談をしたのが金曜日、「学校にはもう月曜日から来ていいよ」と。

「ボランティアスタッフも月曜日の朝から

毎日一緒に息子のそばで見ていてくれるからね」

という話だった。

転校前の学校とは違って

スピーディーな対応と学校側からの配慮に

私は当時、感謝の気持ちさえ覚えた。

ただ一つその面談の場で

校長から言われたことにについて

疑問に思ったことがあった。

それは

「息子が卒業するまで

毎日の登下校の送り迎えをするように」

との言葉だった。

学区外通学になるのだから

学区外の道の送り迎えはわかる。

でも学区内の子が通う学区内から学校までの道も

6年間送り迎えをしなさいといわれたこと。

送り迎えだけでなく行きと帰りのそれぞれに

私が息子をボランティアスタッフと引き渡しあう事。

そして「放課後に預ける学童保育には絶対に預けてはならない」こと。

これが転校の絶対条件として言い渡された。

男の子が6年生ぐらいになったときに

お母さんと毎日登校していたら

逆に「からかい」の対象になると思うのがふつうである。

でもそんなこと考えもせず

校長はその条件を出してきた。

当時、息子には妹がいて娘は3歳になったばかり。

ちょうど幼稚園の面接を受けなければいけない年齢だった。

でも娘は私が息子の毎日の送り迎えと

息子の毎日のような怪我の通院に時間をとられ

時期を逃し

幼稚園に行くことができなくなった。

どこに通うことなく娘は現在小学一年生。

そして私は

両手・両足に先天性の四肢障がいがある。

喘息で入院することもたびたびある。

転校前は平たんな道路しかなかったが

転校後は山・坂を何度も超える場所に学校がある。

(徒歩圏で通えるのはその学校しかありません。)

それが私にとっていろいろな意味で

大変なことであることは言うまでもない。

転校先の学校に私の身体のことは告げなかった。

なぜか

転校させてもらえるだけでありがたい

そう思ったから。

そしていざ新しい学校へ転校

転校初日から私は娘をベビーカーに乗せ

息子を連れて毎日

雨の日も風の日も暑すぎる夏の日も

校長から言われたことを守り

送り迎えと引き渡しをし続けた。

毎日の送り迎えの時

ボランティアスタッフに私は毎日

このようにきいていた。

「息子の様子はどうですか」

「息子は誰かに迷惑をかけたりしていないでしょうか」と。

ボランティアスタッフから戻ってくる言葉はいつもきまって

「息子さんは人に迷惑をかける子なんかじゃないですよ」

「お母さん心配しなくて大丈夫です」

「とってもおりこうさんです」と。

私はこの3つの言葉をずっと聞かされていた。

だから「転校が出来てちゃんと見てもらえていて、よかった」とさえ思っていた。

何一つ疑うことなく学校を信じてた。

そんなある日

外出先で、私のスマホに担任から

一本の電話がかかってきた。

「隣の席の子が暴れて息子さんの教科書を破ってしまって

それで息子さんが怒ってしまって」と。

「そのことについて今日の帰りの引き渡しの時に立ち話でお話しします」と。

「怒ってしまって」の先の話が何なのか一切話さない担任。

隣の席の子も息子も

「怪我をしたりしていないのですか」ときけば

「怪我はしていません」と。

怒ってしまって何があったのかを聞いても答えない。

全く何が起きたのかさっぱりわからないまま

私が学校に到着した。

そしたらすぐ職員室の窓から見ていた校長が

私のもとにニヤニヤしながら出てきた。

(あの校長のニヤケ顔は多分一生忘れない)

私が校長に「何があったんですか」と聞いても

ニヤニヤして

「まーいいからいいから 息子さんからお母さんに伝える言葉が違うと

こちらも困るんでね。まぁ校長室で話しましょ!

はいはい校長室で話しましょうか、おかあさん、ね」と。

校長室に連れられて行った。

担任は立ち話でって言ったのに・・・。

そこには担任・ボランティアスタッフの2人が校長室にもう既に座っていた。

そこに校長が座った。

私と息子と娘の目の前には威圧感たっぷりの

校長・担任・ボランティアスタッフが座った。

そして校長は腕を組み座りながら後ろにのけぞり

第一声を発した。

「ねぇボランティアスタッフさん、

例のこと、このお母さんに言っといたほうがいいんじゃないの」と。

そしてボランティアスタッフは校長から誘導されるままに

打ち合わせしたことがわかるぐらいの

阿吽の呼吸で

こう言ってきた。

「今回、息子さんの教科書をちょっと破かれましたけど、

息子さんは隣のその男の子の筆箱を触ったことがあるんですよ!

だから迷惑をかけているのは息子さんもそうですから

今ここで謝っていただきたいです!」と。

「ちょっと破いたぐらいでやめろよ!って息子さんいってましたけど

あんなに騒ぐことじゃないんじゃないですかね!」と

そういわれた。(嫌なことをされてやめろ!という事の何が悪いのか・・。)

毎日の引き渡しの時に

「迷惑をかける子じゃない、おりこうさん」って

言ってたのに、いきなり何で?と思った。

PTSD心的外傷後ストレス障害で苦しんでいる息子を目の前にして

「息子の方が悪い」という状況に一方的にされてしまった。

でも自分の息子が「他人に迷惑をかけている」と言われれば

謝るのは親として当然であり、私は心からその場で

「大変申し訳ありませんでした」と謝罪しました。

そしたら校長がまた

「息子さんが家に帰ってから違う事を言うと困るんでね、

わかってもらえればいいですからおかあさん」

とそうにやけて後ろにのけぞってまた言ってきた。

「なんでこんな言い方なのかな」と思ったけど

謝れと言われたから謝った。

破った子の保護者には連絡が行かなかったし、

校長室でのやり

取りでも相手の保護者は同席もしていませんでした。

で、その破られた教科書は校長室のやり取りでは

「あとででいいでしょ、おかあさん」

と言われ現物を見せてもらえなかったから

(現物を見ずに謝った私が悪いのはわかっていますが、

威圧感に負けて謝ってしまったのです・・)

家に帰って教科書を見た時・・・

「私、謝らなければよかった」

「こんなにボロボロにされているのに」

破かれた教科書

破かれた教科書

「私だけが謝るってどういうこと?」

と激しいショックをその時に受けた。

と同時に同席して全てを聞いていた息子は私に

「ママごめんね 謝らさせちゃってごめんね」

「もうやめてって言わないよ」と

泣いて謝ってきた。

私はその時、また息子を傷つけてしまった悲しさと

息子は悪くないのに学校に謝ってしまった自分への怒りと

学校への不信感でいっぱいになった。

あの校長は、

「破られたことが授業中のことだし、

モンスターペアレントだから

器物損壊だと訴えられては困る」

と思ったから、

現物を見せることなく、

私に謝らせたのか。

とわかった。

そして私たち家族はこの出来事によって

学校側は息子を

「また痛い思いをさせないために」スタッフをつけたのではなく

「息子の行動の監視と行動の制限」のために

ボランティアスタッフを毎日毎日一日中つけていたんだと気が付いたのだった。

転校前の学校で

ドミノを倒して謝っても許してもらえず

5・6人の集団暴行によって

心も体も傷ついた被害者である息子を守るために

必死に動いた私たち夫婦は

転校前の校長によって

モンスターペアレント呼ばわりされ

転校先の校長にもモンスターだから気をつけな

という情報を流された結果がこれだった。

もう流されてしまった噂は

なかったことにはできない。

どうしようもない孤独感。

加害側が一切の罪を認めない苦しさ。

新たな学校でもなお、

真実をわかってもらえない苦しみと

息子が受けた辛さを思ったら

毎日涙が出た。

食器を洗っていても、

洗濯をしていても、

買い物をしていても、

いじめとは関係ないところで、

どこでもかまわず涙が出てきてしまう。

苦しくて辛くて悲しすぎて

もうどうしたらいいのからなかった。

いじめで亡くなった方をニュースで見るたび

苦しくて辛くて引き裂かれる思いになった。

学校さえなければこんな目にあう事なんて

なかったはずなのにと・・。

いじめから4年経った今でも

今こうやって書いていても

やっぱり涙は流れてくる。

事実と違う事を言われても

陰で言われていることを、とめることはできない。

転校前の学校はいじめや暴力が多い学校だった。

いじめにあっても転校させてもらえない子もいた。

転校できなかった親が、

転校できた私たちのことを妬み

「あの子はいじめにあって転校した子だよと言いふらして」

というメールを幼稚園から一緒だったお母さん全てに

一斉送信されていたことも後になって知った。

うちの子は悪いことはしていない

恥ずかしいことなんて何にもしていない

なのに近所の人たちも

「いじめで転校したんだってよ」

「ほら見て見て」

とあからさまに息子を目の前にしていい

私たちの家の壁に家族ぐるみでチョークで落書きをし、消しもしない。

人ってこんなに残酷で冷たいんだって思った。

もう誰にも会いたくない

家から一歩も出たくない

それでも

毎日の送り迎えや通院に行かなければいけない日々

生き地獄だった。

でもこんな気持ちは家族しか知らない。

(私たちは祖父母に子供や生活を見てもらえる環境ではありません。)

いじめの対応も警察とのやり取りも通院も

全部夫婦2人で乗り越えてきた。

どれだけの思いで生活しているかなんて

転校元も転校先の学校の知る由もない。

転校すると教材が少し違うものがあって

買い替えた。

新しい物が届くまでの期間、

他の子と違う物を使っている息子への配慮は全くなかった。

そのまま違う物のまま授業参観があった。

噂がある中で息子は余計に目立ってしまった。

転校しても息子にだけロッカーや下駄箱などの

名前のラベルもつけてもらえなかった。(証拠あり)

つけてくださいといっても

息子だけ他の子と違って漢字でラベルを付けられ(証拠あり)

「息子だけ漢字ですよ」と指摘しても

「うらやましがられますよ、きっと」で終わり。

なぜ息子に対してだけ

目立つことをするのかわからなかった。

学校への違和感と不信感しかなかった。

息子は公文書であるはずの学校からのお知らせも配られない。

くださいと言っても

「配ってあります」

と担任から返事が来て

どうしようもなくて、他のクラスのお母さんから写メを送ってもらったり、

コピーをもらったりして対処していたこともある。(これも証拠あり)

「人の気持ちをわかってあげること」

「人の気持ちに寄り添うこと」

これを教えるのが学校だったんじゃなかったっけ

息子の状況は教育を受けているとは言えない

そう思いながら過ごした。

その思いは誰にも言えずに。

そして一年生のある日

息子は体調があまり良くない日があった。

「今日は絶対に体育はやっちゃだめだよ」と

息子には伝えていた。

連絡帳にも「今日は体育を見学します」と書いて出した。(証拠あり)

でもバスケ好きの担任は

有無を言わさず「早く着替えろ」と怒鳴り

無理やり体育をやらせた。

その日の夜

息子は喘息悪化・肺炎・高熱・呼吸困難で

吐血して緊急入院となった。

そこまでの事態になっても

「何かあったら連絡くださいね」と学校から言われた。

「死んだら連絡くれってことか」そう思ったよ。

もう学校という場所で2度も息子は殺されかかった。

モンスターペアレントだと言いふらされて

どんなことを言われても、

どんなことをやられても、

ずっと我慢してきたけど

もう限界だと思った。

もう何を言われても構わない。

息子を守るためなら

私が犠牲になることは

一向に構わない。

そう心に決めた。

その後

教育委員会もやっと

担任と校長に指導、注意した。

けど息子はそれ以来一年生の間は

学校には行かなかったので

改善されたかどうかも不明ですが。

でも入院となった後の謝罪で

私たちが息子の病院のお見舞いを

終わるのを待っていた、

担任と校長は

夜の9時に大雨が降っているからと

我が家の駐車場の屋根のあるガレージの奥に勝手に入って

立って待っていた。

その行為が

不法侵入になることも

理解していない校長と担任。

これで謝罪されても

という気持ちになった。

はっきりいって呆れた。

これが教育者のやることなのかと。

いじめ被害にあって転校したけど

家族みんなが苦しみ続けた。

今回の記事は一年生の時の話ですが、

今でも見えないところで噂はあるだろうし、

学校側が私たちについて普通ではない対応をしているのはまだあります。

でも命に関わらないことだからと

我慢していることもあります。

我が家の場合、

転校したから全てがよくなったなんてことはありません。

きっと引っ越しして転校したとしても、

転校手続きの際の校長同士の連絡等で、

「モンスターペアレントの子どもが行くよ」と言われていたと思うし。

この現状を乗り越えなければいけないんだと私たち家族は認識しています。

ちなみに破かれた一年生の上巻の教科書は

2年生の夏に「なぜ返されないのか」と夫が指摘して

やっと返却されました。

返したくない理由が学校にはあったということです。

夫は転校前と転校後の両校長のところへ

何度も息子のために話し合いをしに学校まで出向いてくれました。

本当に、夫が動いてくれる人で

よかったと何度も思いました。

どれだけ夫に救われたことか・・・。

息子も父親をとても尊敬しています。

自分のために動いてくれた父親の

姿は、息子の記憶にちゃんと残っているようです。

他の学校には良い学校も良い教師もいると思います。

たまたま私たちはそれに恵まれることはありませんでしたが。

ただ、私は

辛さ自慢をしたいのではなくて

ここで伝えたいことは

児童・生徒によって

不公平な対応をするのではなくて、

「いじめにあった子が

自分の子どもだったら」

という視点で

学校や教育者が考え対応してくれることを

切に願っている。

ということです。

そうしないと学校は変わることができない。

そう思います。

また、児童・生徒へも

「いじめることは人としてみっともない」

「いじめることは人としてかっこ悪い」

という意識を植え付けていくべきだと私は思います。

児童・生徒同士が

「お前そんなことしてかっこ悪い」

と言い合える雰囲気づくりができるような

教育や指導を学校関係者や教育関係者には

考えてもらえることを心から願っている。

ということです。

あのとき対応しておけば

こんなことには

ならなかったのに

と後になって

教師たちが後悔したって

手遅れなのですから・・・。

「いじめ防止基本方針」

には

教職員は

「いじめの芽は小さいうちから摘むこと」と

書かれています。

是非それを守っていただきつつ、

いじめの未然防止、再発防止を徹底していただきたいものです。

長くなりましたが、最後までよんでくださり、ありがとうございました。

引用元:http://kokoronokizu.com/blog/ijime/451/


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